高級下着ブランド「ラペルラ」 ”3度目の正直”なるか

伊高級ランジェリーブランド「ラペルラ(LA PERLA)」は2018年3月、アムステルダムの投資会社のサピンダ ホールディング(SAPINDA HOLDING以下、サピンダ)のもと、新たなスタートを切った。前の親会社とは大きく異なる営業戦略が打ち出され、日本でも卸事業をやめ、11月には青山、12月には銀座の直営店をクローズした。今後は、ランジェリーブランドとして本業に立ち返るべく、新たに歩み始めている。

「ラペルラ」は1954年にコルセット製造職人であるアダ・マゾッティ(Ada Masotti)が設立し、息子のアルベルト(Alberto)がグローバルな高級ランジェリーブランドへと成長させた。2007年にアルベルトがサンフランシスコの投資会社JHパートナーズに同ブランドを売却。その後も13年にはイタリアの投資会社パシフィック グローバル マネジメント(以下、PGM)に、18年にサピンダにと繰り返し売却されてきた。わずか10年ちょっとの間に3度も親会社が変わったことになる。

日本では、1981年からナイガイ、94年からカネボウ、2005年からワコール、12年からルックが同ブランドを扱っており、15年6月に本国の全額出資でラペルラジャパンが設立された。PGM傘下では、それまで主力としてきたランジェリーと水着に加え、プレタポルテやファッション雑貨を大きく拡大し、16年2月に青山、同年9月に銀座の直営店が華々しくオープンした。しかし、日本法人設立から3年間で社長が3人辞任するなど、経営陣が安定しなかった。

ラペルラは、18年9月に着任したパスカル・ペリエ(Pascal Perrier)=ラペルラ グローバル最高経営責任者(CEO)のもと、新体制で始動している。ペリエCEOはバーバリーの前役員の一人であり、約30年ラグジュアリー業界で手腕を発揮してきた人物で、日本の百貨店ビジネスについても熟知している。ラペルラジャパンのトップには香港在住のルイス・フォン(Louis Pong)CEOが就任。玉野茂樹ラペルラジャパン取締役は、「ブランディングに磨きをかけると同時に、利益の出るブランドとして確立させていきたい。まず、売り場の効率を上げることに注力したい」と語る。しばらくは既存の百貨店に軸足を置くが、ランジェリーと水着に絞った展開数に見合ったスケールの直営店オープンも見据えている。

直営店の閉店など後ろ向きなニュースが多かった「ラペルラ」だったが、18年秋にドレスラインの“ラペルラ サルトリア(LA PERLA SARTRIA)”をスタートした。一方で、サピンダが打ち出しているのは“本業回帰”。プレタポルテやファッション雑貨をやめ、ランジェリーと水着に絞って展開していく方針だ。18年春に、「ラペルラ」のヘッドクリエイティブデザイナーにアトリエで30年近く働くアレッサンドラ・ベルトウッツィー(Alessandra Bertuzzi)が着任。「ラペルラ」が培ってきた職人技を知り尽くすベルトゥッツィにより「ラペルラ」本来の姿が花開くことが期待される。その第一歩が、ランジェリーを作る最高の技術を駆使したドレスラインの“ラペルラ サルトリア”というわけだ。

日本でも先日、ドレスラインの“ラペルラ サルトリア(LA PERLA SARTRIA)”の顧客向けのオーダー会が開催された。“ラペルラ サルトリア”は、オーダーメイドのドレスラインで全11型。サンプルは世界に各型1着しか存在せず、そのサンプルが世界を巡回して受注会を行っている。先日、そのうちの6着が日本に届いてVIP顧客に披露された。それらドレスはランジェリーのトップメゾンである「ラペルラ」の名にふさわしく、内側にブラジャーがついているなど機能性を兼ね備え、レースやチュール、刺しゅうを巧みに施したデザインは唯一無二のもの。ボローニャにあるアトリエの力を感じさせる仕上がりだ。顧客からのオーダーは全てこのアトリエで製作される。初回の受注会では、60万~70万円のドレスが5着売れたという。同じくオーダーメイドのウエディングラインも完成しており、秋に日本での受注会を催す予定だ。

Author: admin

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